覚書
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子供を亡くされたフライ屋さんのご夫婦の事を考えながら思ったことの覚書。
お二人が店を開いてから変わったと感じることは…
お二人の顔色がいいこと。 お子さんのことをあまり話さなくなったこと。
お店の中に温かな空気が流れていること。
お子さんとおばあちゃんの写真が心なしか穏やかな表情に見えること。
ここまで書いて気がついた。 二人が店を始めて少し元気になってくれたことで私自身が安心し救われていたんだと。
だから、お子さんの写真が穏やかに見えるのかもしれない。写真は私の心の鏡なのかもしれない。
元気に見えても家に帰れば思い出して泣いたり、眠れない夜もあるだろう。
お子さんが亡くなる前に店をやっていたお二人の姿を私は見ていないし出会った時からずっと泣いていたから、私には二人が元気になったと感じるけど本当は全然本調子じゃないかもしれない。
自分より早く子供が亡くなるという悲しみ(←この言葉も相応しいとは思えないけど…)は計り知れず。
元通りなんて有り得ないだろうし、明らかに変わってしまった無くしてしまった自身を持て余すのも当たり前。
そんな気持ちは当事者以外にわからない。 悲しみに支配されながら周りの人ともぶつかったりすることもあると思う。
でも、ご夫婦は一歩踏み出した、日常へ。 ぶつかりながら、助けられながら。
それはやっぱりすごいこと。
助けられたのは私だ。
雨はもう上がったのだろうか。
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