私のルーツ
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私の尊敬する人は祖母です。
今日、伯母と父から今まで知らなかった祖母の話を聞きました。
私の祖母は18歳で茂木家の長男と結婚しましたが、8年間子供ができませんでした。
子供を産むのが女の使命のような考え方であった昔のことですから、長男の嫁ということもあり祖母は周囲から責められ、心ない言葉を投げ掛けられることもあったようでした。
8年という長い不妊でしたが、子供好きの祖母は諦めませんでした。
祖母は高崎の病院で子宮の手術をうけた直後に長女を授かり、続いて次女、長男を妊娠出産しました。
その末っ子の長男が私の父です。
その後子供達が小学生の時に祖父が脳溢血で倒れ、60歳で亡くなるまでの10年余りを義母(私の曾祖母)と夫(私の祖父)と3人の子供の6人家族の家計を支えるために女で一つで必死で働いたのでした。
昔は雇ってもらえるだけで幸せだと思えという時代でしたから、家の都合で雇われ先を辞める時は、裏切り者だの恩知らずだのとひどく責められたようです。
祖父を看取った後は、片親という理由で理不尽な暴言を吐かれたり、差別され悔しい思いをすることが度々あり、その度に祖母は子供達に負けちゃ駄目だと繰り返したのです。
そんな祖母にとって私と従姉妹は待ちに待った孫でした。
常に愚痴一つこぼさず、苦労してきたことをかけらも見せず、無償の愛で私たちを包み込んでくれました。
おかげで私と従姉妹はものすごいおばあちゃん子で、おばあちゃんを取り合って喧嘩をしては、おばあちゃんの膝を一つずつ分け合ったのでした。
あの時、おばあちゃんが妊娠を諦めてしまったら…
父や伯母を必死に育ててくれなかったら…
私や従姉妹は存在していませんでした。
おばあちゃん、ありがとう。
一緒に過ごした時間は15年とあまり長い時間ではなかったけれど、おばあちゃんからたくさんのことを教わりました。
おばあちゃんの映像は遺せなかったけれど… おばあちゃんの遺してくれた私自身、大事に生きていきます。
そして、おばあちゃんの役割を継いで、これからもたくさんの人達の話を聞き遺していきますね。
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Comment
いい話や
>あっきーさん
ありがとう[E:crying]
ばあちゃんもきっと向こうでありがとうと言ってると思います[E:shine]